読書メモ「鏡の国」

まず、小説を「登場人物と読んでいる」という構成によって、読者と登場人物を「物語の読み手」という点で一致をさせたのが面白いところ。この工夫をすることで登場人物に話しているようで、読者へメッセージ、特に謎解きのお題を与えられている感じ。

これはメディウムとの共通点を感じたかな。作品中の語り手にアドバイスをもらいながら、物語の中の違和感に気づけるか、というチャレンジになっている。

ただ、その違和感にもう少しドンデン返し感というか意外性が欲しかったのも事実。「物語単独で読んだのでは違和感はないけど、書き手のアイデンティティやキャラクターなどの属性を知っているからこそ感じる違和感」というコンセプトは面白いんだけど、そこが少し弱かったかな。

作者が実はあの人と同一人物だということや、犯人が実は、な点、〇〇は現実の人物ではないというミスリードはよく見る手法だけれど、そこは作品の面白さになっているし、強引さもそれほど感じなかった。

様々な障害を扱ったからこその難しさはあったと思う。そこに説明的になりすぎたり、寄り添いすぎたり。でも、作品にミステリー要素だけでなく、もう一つ別の作者が付け加えたいテーマを加えることは、物語に厚みを与えることに不可欠だし、このテーマがなかったらこの作品は薄っぺらいものになっていたと思う。小説における「作者が作品を通して伝えたいテーマ・問題提起」って難しい。それを全面に押しすぎると説教くさいというか押し付けになってしまうし、反対にそれを薄めすぎるとただのエンタメになってしまう。小説は「自分とは違う人物に『なれる』」ことが最大の特徴なのだとしたら、映画や説明的文章では感じられない「当事者としての苦悩」は描けていたのだと思う。

エンディングについては面白い。小説や漫画を読んでよく「このエンディング、美しいけど切なすぎる」ということはよくあって、それに対する問題提起がこの作品。確かに、本当のエンディングはハッピーエンドだし、これまでの伏線回収にもなっている。でも、物語の編集者が言うように明らかに美しいのは、偽りの方。「本当のエンディングは別にあった」って都市伝説はよく聞くけど(ドラえもんの植物人間の話とか、クレヨンしんちゃんは本当は死んでいる話とか)それに対する挑戦状かな。「全ての疑問に答えてくれる、全ての人が納得できるエンディングは、本当に最高のエンディングと言えるのか」。答えはう〜ん・・・。理性と感情はやっぱり別なのかもね。理解できることが美しいに繋がるとは限らない。