読書メモ「HORIZONS 科学文明の起源」
ここ最近、一部の界隈で「コロンブス」が話題になっている。とあるアーティストのプロモーションビデオでコロンブスをモチーフにした人物が、旅の途中、猿のような見た目の人物に人力車を引かせたり、文化を教えるといった描写が「差別的だ」ということらしい。
今回の騒動は、猿が登場していることもそうだが、コロンブスと共に登場していることで火に油を注ぐことになったようだ。まるで彼は悪役。しかし少なくとも、少し前までコロンブスはアメリカ大陸を発見した「偉人」として、教科書に載っていた。あの歴史の授業はなんだったのか。
さて、「歴史」と聞けば、どんなイメージが頭をよぎるだろうか。単なる暗記中心の受験科目?それとも一部マニアが、飲み会で蘊蓄を披露するためのもの?おそらく、大半の人が「過去の過ちを未来に繰り返さぬため」と優等生的な答えを考えたはず。では、改めて尋ねる。「その『過ち』とはなんですか」。
「アメリカ大陸の発見」。それは、歴史的にどんな価値があるのか。ネイティブアメリカンやインカ・アステカ帝国の人々はアメリカ大陸に古くから住んでいたのだから「発見」というワードも違和感がある。実はこれ、日本人の私たちにはイメージがしにくい。ヨーロッパ人にとってこの「発見」は、単なる新しい大陸を見つけたこと以上の価値があるのだ。
それまでのヨーロッパの科学とは、「過去の偉人至上主義」であった。アリストテレスをはじめとする数々の偉人たちが、この世の全てを明らかにしており、それを正確に受け取る作業こそ、科学だったのだ。しかし、それを揺るがす大事件が起こる。それが例の「発見」。なぜなら、過去の偉人たちの誰も、その大陸の存在を予言していたり、地図に記していなかったからである。
きっと当時の人たちは度肝を抜かれたはず。そして、こう思ったであろう。「これ、昔のおっちゃんたちが言ってたことって、全て事実とは限らないんじゃね?」そこから科学の大改造が起こる。実験、標本採集、測量。現在の私たちが「これこそ科学的」と感じるこれらの手法は、全てここからスタートした。わからないことは自分で確かめるしかない。つまりこの「発見」は、「アメリカ大陸が見つかったこと」と共に「過去の偉人たちは間違っているかもしれない」というダブルミーニングの「発見」だったのだ。
しかし、よく考えればこの発見はあくまでも「ヨーロッパ人」から見た視点である。そして、世界史に出てくる偉人にはそのヨーロッパ人が数多く登場する。しかし、最近の研究で、決して彼らは一人で偉業を成し得たわけではないことが明らかになってきた。
孤高の天才と評される。アイザック・ニュートン。しかし、彼の発表した運動法則を証明するためには、地球の様々な場所での観測が不可欠だった。それを担ったのが、奴隷船で世界各地に訪れていた測量士たちである。そして、この計測を支えたのは現地の人々。この測量結果がなければ、彼は論の正しさは証明できなかった。また、コペルニクスも、一人で地動説を考えたのではない。ペルシア、ムスリム・スペイン、エジプトと面々と繋がる知識の蓄積があったからこそ、大転換は成し得た。それは、彼の著作にもはっきりと書かれているにも関わらず、歴史はいつの間にかその事実を人々から忘れさせた。
「歴史は勝者によって編纂される」とよく言われる。では、その勝者とは?それは紛れもなく産業革命に成功したことで、世界各地を植民地化し、世界大戦を巻き起こしたヨーロッパであろう。つまり今、学んでいる歴史とは「ヨーロッパ人、超かっこいい補正」がかけられているのだ。
だから、歴史は相対的に見ることが何よりも大切。言い換えれば、このヨーロッパ中心の歴史こそ「過去の過ち」そのものとも言える。世界は決してヨーロッパ人だけが作り上げてきたものではない。アラブや、アフリカ、アジアの人々は決して、悪役でもなければモブキャラでもない。
各地の正当な科学の歴史が本書には、数多く掲載されている。この本を読むことで、私たちは、コロンブスのように「当たり前として疑わなかったもの」をもう一度見直す「発見」ができると思う。